昔昔のおもいで話①

最近 昔のことを良く思い出します。私が育った小岩近辺の様子を書いてみます。

もう70年も前の話です。私が5歳くらいの頃かな~ もの心が付いたのは多分そんな時期ですよねー

小学校に入学したのが6歳でしたから、そのちょっと前頃の記憶がうっすらと残っています。

我が家は〝蔵前橋通り〟が全面開通する前の通り沿いに住んでいました。 道路を拡張するに当たって立ち退きをせまられる家がずい分と残っていた時代です。そして仲の良かったの唯一の遊び友達も引っ越して行ってしまったんです。

多分 その頃の家の前の道路は〝開成道り〟?と言われていたかな~? ちょっと定かではありませんが・・・市川橋から奥戸街道に入るまでの道です。 ミゼットという車が走っているのと、馬が馬車を引いて引っ張られているのと、バスはおんぼろバスで、女性の車掌さんが〝がま口型の黒いバック〟を首から下げて切符きり・・・ずいぶんと揺れましたが、私は浅草や上野のデパートまで行くのに利用しました。

それと 毎年の台風の度に洪水がおこって大変でした。記憶にあるのは一度床下まで水が来てしまって〝畳〟を上げた事です。それ以外でも台風の度に大水となって本当に困りました。 下水道が出来ていなかったんですね。生活排水は道の両端にある〝ドブ〟に流していました。ですので汚い水が家まで流れ込んでくるんです。その頃の道は土の道で、アスファルトになったのはず~~っと後でした。道路も〝コンクリート〟だったと思います。 詳しい事は分かりませんが、それで〝新中川〟と言う河を作る工事が始まったのだと思います。

河川を新しく作るって想像ができますか? どんな風にして河川ができていくのでしょうか。 その頃は未だ蔵前橋通りも開通していませんし、とても長閑な風景でしたよー

 続く(暇な時に少しづつ書いてみたいと思います)

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

おすすめ記事

ページ上部へ戻る